◇江戸時代から現存する浴衣の展示に着物を着て観に行きました。 ―着物生活―
今回は体験ルポです。
京都 鹿ヶ谷の「住友コレクション 泉屋博古館(せんおくはくこかん)」にて、「ゆかた・浴衣・YUKATA展」が、開催されました。個人所蔵の江戸時代の浴衣が多数展示されており、浴衣好きの男女が待ち望んでいた企画。ここ京都は浴衣の名産地というわけではないので、珍しい展示です。しかも浴衣・きものを着て行けば割引きになるという嬉しいサービスもあり、コロナ緊急事態宣言も明けて浴衣や夏着物姿の男女が多く足を運びました。お祭りも中止なので、浴衣を着る機会が出来たのも嬉しいですね。私達も観に行きました。
泉子博古館の近辺は南禅寺や永観堂、哲学の道など、
和服で散策するにはうってつけのロケーションです。
少し話はそれますが、江戸時代と言えば、しみぬき屋が主役のこちらの小説を愛読しています。
中島要という作家の連作短篇時代小説「着物始末暦」シリーズ全10巻。着物の染み抜き、仕立て、洗いや染めと何でもこなす、若くて男前で腕のいい職人、着物の始末屋「余一」が主人公。日本の色名、柄名、行事、言われや歴史から、町の人々の着物にまつわる生活、江戸日本橋を始めとする呉服屋と問屋の働きなど、物語のあちこちに自然に散りばめられているので、着物の歴史が手にとるように想像できます。影の存在である着物の染み抜きのイケメンが主役なんて、私達の憧れのまとではありませんか。着物好きな方もそうでない方も楽しめる本、オススメです。
でもこの時代に本当にこんな複雑な手仕事ができたのかなぁ、実際に見てみたいなぁ…と思っていた矢先のこの展示。余一に会えそう、2倍楽しみです。
では、自粛のためしばらく着られなかった着物を久しぶりに着て…いざ。
江戸時代以前からの浴衣は麻から始まり、綿は当初、稀少で上流層しか着られなかったようです。昔のお風呂は裸ではなく単衣の着物(帷子)を着て入浴しました。いわゆる¨蒸し風呂¨で、そこで着る麻の¨湯帷子(ゆかたびら)¨が、浴衣の始まりですが、やがて今のように湯につかる入浴法に変わって行き、湯上がりに汗取りに着てくつろぐバスローブのような役割りの綿の浴衣も普及して行ったようです。
江戸時代~昭和時代の浴衣の展示ですが、特に藍染め、絞り染め、型染め、そして人間国宝の作品が展示されていました。(他には、江戸時代のカタログとも言える小袖ひいながたや柄の見本染め、型紙、浴衣を描いた浮世絵、画家の描いた浴衣など)
江戸時代の浴衣を見て現代と全く違う点は「小さい」という点が印象的です。当時の人々は、現代人より小柄だったとは言われていますがそれだけではなく、例えばおはしょりもなく対丈ですから身丈も短い。又、褄下(衿下)が現代の半分くらいしかありません。これは図録の写真では見られないので、現物でしかわからないのですが。それに裄、特に身幅に対して袖幅が短いので、洋服の無いこの時代の「半そで半ズボン」のような感じがしました。冬物と同じように手首・足首まで覆う浴衣や着物姿の私達をこの時代の人が見たら、「暑いのによくそんな格好してるなあ」と笑われるようで恥ずかしくなったくらい、江戸時代の浴衣は涼しげでした。それに、この大きさの浴衣なら、洗濯機のない時代の井戸での手洗いも、洗い張りして仕立て直しも、頻繫に行えるでしょう。なるほど、と納得しました。
さらに、機械の無い時代にその精巧で緻密な染めとしっかりした綿麻の生地。また、その¨白さ¨にも驚かされました。当時でも下の画像のように、ここまで真っ白な綿や麻があったようです。(もちろん補正はされているでしょうけど)
細かい型染めについては江戸時代の伊勢型紙の展示だけではなく、ビデオ上映にて現代の手作業による型を作る、彫る工程~染め上がりまでを詳しく上映されていました。ビデオ上映は長板中型の人間国宝、松原伸生氏の製作作業の工程を一から仕上がりまで詳しく放映されており、大変勉強になりました。
展示は前半と後半で展示物を入れ替える形式でしたので二回行きましたが、どちらも大変見応えがありました。図録も大変読み応えがあり、満足しました。
着物が地場産業である京都にはかつて、1931年~1951年にかけて染織祭という衣装パレードが行われるお祭りもありました。日中戦争をきっかけに廃絶しましたが、時代祭はじめ、いくつかのお祭りに継承されています。そのように、着物や装束、衣装などの展示を観られる機会も多くあります。
私達は職業柄でもありますが、それらを観に行ったりするのがとても好きです。それにそこで着物を着て来られている方々をたくさんお見掛け出来ると、何より励みになります。
これからもこうした機会で心にも刺激と栄養を与えて楽しくセンスを磨きつつ、皆様に一層喜んで頂けるよう、より良い仕事につなげて行きたいと思っています。