☆成人式の歴史や、振袖を着る理由はどこから来てる?―着物雑学―
“ブログ比翼って何のためにあるの?着物の格と比翼の謎 ” では、黒留袖って歴史的にそれほど古くないんです、というお話をいたしましたが、そこへ行くと今回の成人式と振袖には長い歴史があるのです。歴史が長いと変化もありますし、面白いトピックスもたくさんあるようです。出来るだけたくさんご紹介したいと思います。
―――成人式―――
まず簡単に成人式の発祥をご説明いたしましょう。成人式の発祥は、男性は奈良時代の「元服(げんぷく)」、女性は平安時代の「裳着(もぎ)」とされていますから、どちらも古い歴史のある貴族の儀式です。男性は衣冠束帯、女性は十二単といった正装を身につけ髪を結い、それまでの子供の衣服から大人に成長した姿をお披露目されます。そしてそれをきっかけに結婚する相手が親達の間で取り決められるわけですから、現代よりかなり意義を持った儀式であったと言えるでしょう。
だだ、もちろんこの時代の成人は二十歳ではなく、十二~三歳でした。鎌倉時代になると十五~六歳と、少しずつ遅くなりました。1876年には民法に先立って満20歳を成年とする太政官布告が発布され、やがて二十歳で成人式を迎えるようになってきたようです。当時、国内では15歳を成年と見なしていたのに、欧米諸国では21歳~25歳とされていましたから、その衡平を図ったとの見方もあるようです。
が、これがまた2022年4月から民法上では20歳から18歳に引き下げられるようですね。ただ、成人式は現段階では、まだ二十歳で執り行うと決めている自治体の方が多いようです。
さて、成人式と言えば振袖ですね。近年では羽目を外すファッションの新成人が毎年話題に上りますが、実は振袖には侮れない歴史や意味があるのですよ。
―――振袖の歴史―――
鎌倉時代~江戸時代は武家社会であったため、それまでの平安貴族の襲着は簡略化されて行き、小袖という袖丈や袖幅が短くて振りも閉じてある動きやすい着物が普及して行きました。
それに対して振袖というのは、「振りが開いている着物」の事を指し、子供は体温が高いため熱を逃がすために振りを開けてあり、大人になると閉じました。現代では、振袖は「独身女性が着る物」として一般化されていますが、元々は未婚既婚に関わらず「若い女性用の着物」さらに昔は「若い男女」が着る着物だったようです。ですから、大人になれば着用しません。
袖丈が長くなったのは江戸時代に平和と安定が訪れ、娘に舞踏を習わせる習慣が広まり、躍りの所作を美しく見せるために長い袖が生まれて普及して行った。と、ウィキペディアには書いてありました(笑)が、諸説あるようです。
面白いのはこの長い袖を振る事で男性からの求愛の返答をしていた事です。「振った」「振られた」「袖にされた」などという言い回しは今も残っていますね。でも、前後に振ると「嫌い」左右に振ると「好き」という合図だったそうですから、「好き」の場合でも振っていたみたいですけど(笑)
関所を通る際には未婚女性は振袖を着用しなければ通過できないため関所近くには必ず貸し振袖屋があった、というのも、観光地に必ずレンタル着物屋さんがある現代の風景を連想して今となっては面白い話です。もちろん身分や素姓に因縁をつけられないために振袖を借りるので、意味は全然違うのですが(笑)
このように振袖は、裳着から始まり、子供から成年までの着る着物だったとか、言葉に出来ない恋愛の返答に使われたなどの習わしがあればこそ、成人式の晴れ着としても意味のあるふさわしい衣装だなと納得できますね。
私達はお直しの仕事をしていますから、ママ振りと呼ばれるお母様(お祖母様)からお嬢様(お孫様)に引き継がれる振袖のお直しのご依頼をよく頂きますが、手塩にかけて育てた娘を送り出す親御さん達の愛情と誇りを感じられて、やりがいのある大好きな仕事の一つです。
成人された方は、ご両親達に感謝を込めて成長した晴れ姿をお見せできる成人式ですから、そのお手伝いを精一杯させて頂きます。
更に言えば成人式の振袖には、喜びやお祝いを表す吉祥文様が施されています。宝尽くしや束ね熨斗、松竹梅や鶴、扇など、娘の成長と幸せを願う親の気持ちが込められているものです。
しるくらんどでは、お客様のお着物を解説した「キモノカルテ」を作成いたします。サイズや文様の説明やしみやお手入れに関する事など、その着物だけの基本的な説明を記入して、お手入れを依頼された方には無料でご提供いたします。(ブログ キモノカルテは私達の感謝の気持ちから生まれました 参照)娘さんにご自分の振袖を贈りたいお母様、ぜひご用命ください。
もちろん訪問者や紬など、どんな着物でも対応させて頂きます。(長襦袢など、一部例外はあります)
初めて振袖を着たのは成人式の日。そんな思い出を持つ女性も多いはずです。同じ女性としてその喜びをずっと伝えて行きたいと願っています。