♦むかし日本各地で庶民が着ていた木綿の着物は今 ―着物コラム―
ブログ49「日本全国どこへ行っても名産の染織品があるんです。」でお話したようにどの都道府県でも様々な特産の染織品が生産されてきました。現在も継続している物もあれば、衰退した物も多くまた、絹だけでなく木綿や麻などの植物繊維もたくさんあります。どちらも農家が冬の閑農期や畑仕事の傍らに生産していた物がほとんどです。その中から今回は、現在も根強い人気のある木綿の着物に焦点を当てて、二週に渡ってお話して行きましょう。
木綿の始まりを調べてみると歴史は古く、8世紀頃インドから漂着した青年から伝承されたが上手く根付かず、途絶えてしまいましたが、15世紀頃、中国から伝来した時には栽培に成功し、またたく間に普及したそうです。
当時、絹は貴族や武士などの上流階級の着用する衣装で、庶民は主に麻を着ていましたが、木綿は保温性や吸水性に優れ、丈夫で動きやすく、染色や縫製や洗濯などもしやすく扱いやすいため、庶民の間に急速に広まって行きました。
また、藍との相性も良く、よく染まったので、藍も同時に普及して行ったようです。
日本の染めと織りの分布図を見てみると、南は沖縄から北は北海道まで、木綿の織り物や染め物がありますね。綿花は亜熱帯などの温かい地方の植物ですが、綿織物は広く普及していたんですね。ですが現在では、絹と同じように、綿花もほとんどは輸入されているそうです。
木綿の染色の方も、絹と同じように、縞や絣といった先染めから、浴衣で有名な絞り染め、長板中形、注染といった後染めも発達しました。
先染めの絣は、久留米絣(福岡県)、伊予絣(愛媛県)、備後絣(広島県)、弓浜絣(鳥取県)など優れた技術が近くに集まっていますが、ここから技術の伝承が為された所もたくさんあるようです。
木綿の着物は、理論上は、ご家庭で水で洗う事も出来ますから(実際にやると着物は洋服より大きいし、木綿はシワになりやすいので慣れていないと大変ですが)、私達がしみ抜きなどのお手入れをさせて頂く事はほとんどなく、そのため普段に接する事もあまりありません。また、私達のいる京都には絹の染織品が特産品ですので、そういう意味でも木綿に触れる機会はあまり無いんですよね。地方原産の素朴な布はどんどん減少していますから、特徴的な物でないと、見分けも難しくなるばかりです。
浴衣や手ぬぐいに使われるような木綿や、有名なブランド織物の久留米絣などは現在でもよく出回っていますが、そもそもが庶民や農民の野良着・作業着として着られていたので、農家が減ったり、農民が着なくなったりして需要が無くなると、同時に供給も無くなって行ったようです。また、着物そのものも、よそ行きや、和文化を支える人々の衣装として着られるのが主流になったため、普段着である木綿の着物はますます出番が無くなったようです。
つまりまとめると、木綿の着物は絹に比べると歴史は浅いが、急速に発展・普及し、そして急速に減少して行ったが、浴衣は現在でも人気がある、という流れになるのでしょうか。
絹に比べると、地方の特色がわかりづらい木綿織物。一度その製造現場や、製造されている方のお話を伺ってみたいなあと考えていましたら、たまたま福島県の会津木綿の織元さんを見学させて頂く機会が訪れました。福島県と言えば雪も多く、寒さの厳しい東北地方です。温かい地方で栽培される綿花がどうやって特産物になるまでに発展したのでしょう。また、現在はどういう状況なのでしょう。実際に現地でお話を伺ってとても面白い事や残念な事など、いろんな事がわかりました。
次回は、会津木綿の現地ルポを通して、さらに木綿の着物を深堀り致します。次回もお楽しみくださいね。