☆植物だけで作られた久留米絣は各地の絣模様の先駆けー着物雑学ー
久留米絣は、日本人なら一度は見たり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。「木綿・藍染め・絣模様」の三拍子は、洋服としても着やすく扱いやすく、天然植物衣類の代表とも言える織物です。また、先染めで柄を織りだす先駆けなんですよ。かの世界三大織物に数えられる大島紬も、久留米絣から学んでいるのです。あちこちで「久留米絣から始まり…」という発祥を目にするので、興味が湧いてきて今回は、久留米の池田絣工房さんにお邪魔しました。
─────始まり─────
その始まりは1799年ですから、江戸時代の終わり頃です。井上伝という12、3歳の少女(当時では一人前の年齢)が、藍染めの着物の色褪せた所を解いてみたらその部分の糸が白くなっていた、という事からヒントを得て考案しました。が、井上伝という人の本当の功績は、この絣を織り出す技術のアイデアを、その名の通り生涯に渡ってたくさんの人々に伝授し続けた所ではないでしょうか。藩からも奨励され、ニーズもあったようですし、それで全国的にいろんな名産織物へと繋がって行ったのかも知れませんね。(❊ちなみに絣では、沖縄県の琉球絣の方が歴史的には古いようです。しかし当時沖縄は琉球国という一つの国でした。絹と木綿の違いもありますが、先染めで柄を織りだす技術は国外にはあったようです。)
─────久留米絣とは─────
簡単に説明すると、藍染めの木綿に白い絣模様をつけるため、そこが染まらないように糸で括って防染してから糸を染め、防染を解き、柄を合わせて織って行く染織です。
今は、下絵を描いて糸に写したり、化学染料も使われたりと、いろんな色柄が織られています。
────池田絣工房での昔ながらの製造工程────
久留米絣は重要無形文化財に指定されており、1、手括り(てくびり)、2、純正天然藍、3、投げ杼(ひ)、の三つの条件を満たした物が指定を受けられます。それを踏まえて見て行きましょう。
① 糸を染める
木綿糸は上質の紡績糸を使います。種糸に下絵を写し、その部分を糸で括る。手括りの場合、括り糸は粗苧(アラソウ・麻の皮の部分)を使います。機械括りの場合は、綿糸を使います。機械括りはいろいろあるようですがする人が少なく、御年88歳になる職人さんもおられるそうで、こちらも貴重です。
ちなみに括り糸に使用した木綿糸は売り物にはなりませんが、これを織るとまた面白い風合いの物が出来るのだそうです。
藍染めに使用するのは上質の阿波藍の蒅(すくも)。蒅とは、藍を発酵させて染料にした物です。かつて久留米は藍の産地としても徳島に次いで二位でしたが、今は徳島産の物が主流だそうです。が、蒅を入れている藁でできた「かます」という袋は今でも隣町で作られているそうです。
地中に埋められた藍甕が並ぶ部屋。蒅なので、上澄みは青いですが底の方は茶色く甕も深いため、日に何度も混ぜます。前にブログ「藍染めの浴衣の洗濯や着物の色移り」でも書きましたが、蒅は空気に触れて酸化する度に青さを増して来ますね。ここで括った糸を染めます。
大島紬の絣筵(かすりむしろ)のように、防染部分に木綿糸を織り込んで染める場合もあるそうです。こちらでは織り締めとか織り抜きとか呼ぶそうで、その場合は、藍に着ける→ローラーに通す→地面に叩きつける、という工程を12回も繰り返すのだそうです。大島紬は絹ですが、久留米絣は木綿ですし、さぞかし重く、重労働でしょうが、藍染めは微粒な粉みたいな染料なので、そうしないと中まで綺麗に染められませんしね。
染めたら、どちらも括り糸を解きます。
② 織る
染めた糸を、経糸を柄に合わせて設置し、緯糸は投げ杼に巻き取って行きます。伺った時には手動の糸繰り機で緯糸を巻き取る作業をされていました。
機織りは、7、8名の女性が織られていて、93歳の大ベテランの方もおられました。昔は機織り機はこの辺りでは嫁入り道具で、機織り機を持って行けば「私は織れます」という証明なので、良い嫁と喜ばれたそうです。
久留米機(くるめばた)と呼ばれる独特の織機は意外とコンパクトで、緯糸がシュッと早いスピードで通る投げ杼が特徴的でした。お仕事中なのであまり写真は撮れませんでしたが、初めて見るタイプの織機でした。柄にもよりますが、一反織るのに三日以上かかるのだそうです。
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染めにもいろいろありますが、織りも各地でいろいろ違いますね。久留米絣も様々な工房、工場もあり、製造方法がそれぞれ異なる所もありますが、今回お邪魔させて頂いた池田絣工房さんでは、昔ながらの伝統工芸をされているので、高級な理由もよくわかりました。魅力ある手仕事をいつまでも続けて行かれますように…